風景

茹だるような暑さに変わり、夜風が涼しく感じるようになった夏の終わり。好きな人に会える、そんなキラッキラの夏が今年はまたひとつ増えてくれた。あの暑さも、日焼けも、伝う汗もなんだか愛しく思えてしまった、そんな季節だった。だからか、なんとなくこの夏の終わりを寂しく思ってしまって、このブログを書き始めた。ゆるっと、この夏に貰った思い出をポロポロ綴っていきます✌︎︎✌︎︎

 

やっっっっっと、やっっっっと会えたっ!!!そんな嬉しさが心の底から込み上げて、踊るように心臓が高鳴って、あ〜、私はこのために生きていたのかもしれないなんて、そんなことを思ってしまうようなコンサートだった。「好きな人に一年に一度は会える」なんとなくそんな感覚で過ごしてきた今までの人生だったが、こんな風に当たり前がなくなってしまうのかと悲しくなった去年。まだまだ未曾有な社会情勢ではあるが、本人にも様々なリスクが伴うのにも関わらず、直接会えるコンサートという場面を作ってくれた彼らの凄まじい意志や魂をエンターテイメントという形で身体中に浴びた。

それが、兎にも角にも良かったのだ。

 

私は、アイドルがアイドルというお仕事を全うしている瞬間が好きだ。

それはもちろんテレビでも、配信動画でも、なにか媒体を通して見るのもいいのだが、私のアイドルに対する「好き」の完全体はそこには無い。私が好きで好きでたまらないアイドルはコンサートや、舞台・・・、そう、「生で見る」場面に存在するのである。私はカメラ越しではない、私だけのレンズでアイドルを見るのが好きなのだ。

テレビや配信ライブでももちろんアイドルがかっこよくキマる瞬間が捉えられていて、それを見逃さず、且つ至近距離で顔も見ることが出来るという長所もある。しかし私がコンサートで一番大切にしたいと思っているのはカメラの裏側なのである。

例えば、他の人が歌っている時にマイクを下ろしている瞬間、ダンスで後ろを向いている時の表情、他のメンバーと無言ですれ違う瞬間、そういうカメラには映らない、自分の目でしか捉えられない、「あ〜、この人は今お仕事している人間なんだな〜」とか「今は次の移動場所考えてるのかな〜」とか、そんなふうに感じられるようなものが好きで好きでたまらないのである。

私の目、私の耳、私の感覚、私の意思で直接彼を見る事に意味があり、そこに私の「好き」の完全体が存在するのである。

 

私はアイドルというお仕事をしている彼の、アイドルという部分しか知らないから、骨の髄までアイドルを全うしている瞬間を見られるところが至高だな〜と思うし、アドレナリンがドバドバ出ちゃう(T . T)

 

もちろんコンサートの端っこの部分だけがすきなのではなく、基本的にどんなコンサートツアーでも「最高だった」という感想を持って帰ることが出来る私なので、コンサートの内容が良かったのは前提条件に過ぎないのだが、私はこの「自分の視点でアイドルを見る」という事の良さを、約2年ぶりのコンサートで感じたのである。

 

もしこれを読んでくれている人がいたら思い出してみてほしい、なんかちょっと胸がきゅっとならない?

 

私は、自身で受け取った具体的なコンサートの感想や思い出は基本的に自分の心の中に閉じ込めて大切に大切にしまっておきたいと思っている(けどそんな具体的に覚えてないってのが本音)ので、詳しくあれが良かったとかあの紫耀くんが最高だったとかファンサービスを貰ったとか、そういうのはあまり公で口に出したくない。しかしこのコンサートの前のどうしようもない胸の高鳴りや、目の前のアイドルから受ける輝き、終わった後のふわふわとした多幸感、そういうしあわせを貰ったという事実だけは絶対に忘れずにいたい。私が出逢った素敵なアイドルに教えてもらった、今まで自分の中に存在しなかった感覚や意識を大切にしたい。

 

私が以前応援していたアイドルが活動を休止して、当たり前というのは突然失われるということ、アイドルも私も有限であることを図らずとも知ってしまった。極端な話をするともしかしたら明日世界がなくなってしまうかもしれない、未来は誰も読めない。だからこそこうやって会う機会をくれた「今」を大切にしたいと思うし、それが過去になったらその過去に貰った思い出の欠片を大切に大切にしまっておきたい。

 

そんなことを考えた夏でした。

 

素敵な思い出、今まで知らなかった感情を教えてくれてありがとうのきもちでいっぱいだよ〜〜〜!しょうくん!素敵な夏を本当にありがとう!ほんとうに、心の底からだいすきだ!(T . T)

 

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